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ルワンダの大虐殺
〜恐怖が現実になる瞬間、3か月間で100万人が殺された!〜
 エデンの園を追放されたアダムとイブに二人の息子が生まれた。やがて兄のカインは土地を耕す者となり、弟アベルは羊を飼う者となった。ある日、二人は神ヤーべに収穫物を捧げた。神はアベルの丸々と太った羊には興味を示したが、カインの供え物には目もくれなかった。激しく嫉妬したカインは憎悪に狂い、ある日、とうとう弟のアベルを殺してしまった。二人は血を分け合った最初の兄弟であったのに。
                  (旧約聖書創世記第4章)
* 悪夢の痕跡 *
 アフリカの中央部、赤道のすぐ南にルワンダという小さな国がある。標高は1500メートルほどで、国土はスイスの半分ほどの大きさしかない。まるで大きなアフリカ大陸についた斑点のようにも見える。海には接していないが、琵琶湖の100倍以上もある巨大湖ビクトリア湖を始め、大小の湖に周囲を囲まれている。石油や鉱石などの有益な資源はなく、わずかな天然ガスと若干のタングステンが産出されるくらいの貧しい国である。農業にも不向きで土地は痩せている。しいて言えば、なだらかな丘陵地帯がえんえんと続いているので遊牧に向いているということぐらいであろうか。
 しかし、何の変哲もないこの貧しい国で、20世紀の末期、身の毛もよだつ恐ろしい出来事が起きた事実は案外知られていない。それは、到底信じられない悪夢としか言いようのない出来事であった。この恐ろしい真実を物語るかのように、今もある丘には虐殺された遺体がそこかしこに散らばっている。遺体は骨に皮膚が張りついたままで、ほとんどがバラバラにされており、首と胴がつながっているものは少ない。中には花柄のワンピースを着てテニスシューズを履いている生々しい遺体さえある。肋骨が何本か色あせた花柄のドレスを突き破って白い骨をのぞかせている。遺体の股ぐらには、どうしたわけか、幼児と思われる乾涸びたミイラが転がっている。その光景は、のどかな田園風景と対照的に、何か超現実的絵画を見るようでもある。
 これらの遺体は、人間の集団的狂気をものがたる物言わぬ証人たちであり、この地ルワンダで起きた計画的で組織的な大虐殺の証に他ならない。わずか3か月足らずで100万人もの人間が虐殺されたのだ。もっと分りやすく言えば、一日ごとに一万人以上が殺され、それが延々3か月間以上も続いたということになる。
 これほど驚くべきスピードで、ほぼ完全に一つの民族が消し去られた例はいまだかつてない。死亡率に至っては、実にナチスドイツのユダヤ人虐殺の3倍以上に匹敵するのである。この20世紀末期に起きたルワンダの大虐殺こそ、典型的なジェノサイドであったと言い切って過言ではないだろう。人間の底知れぬ狂気と残忍さをそこに見る思いがするようである。
* 3つの部族 *
 ルワンダの人口は800万ほどで、3つの部族によって構成されている。まず、フツ族が85パーセントとこの国の大部分を占め、次いで、ツチ族が14パーセント、残りは1パーセントのトウク族である。このトウク族は狩猟を主とする部族で、通常ピグミーの名前で知られている部族である。
 元々いたのは土着のトウク族であったが、いつの頃からか、北東の方角からツチ族が、南西の方角からはフツ族がやって来て、ともにアフリカの中央部、つまりルアンダの地で同居するようになる。
 ツチ族は遊牧を主流とし、大多数を占めるフツ族は農耕を主とする部族であった。ただこのルワンダという土地は痩せていて遊牧には向いていても農耕には不向きで、そのため、農耕を主流とするフツ族の生活は貧しい限りであった。家畜は農産物よりも価値が高い。それゆえ、ツチ族の生活はフツ族よりも若干豊かであった。この差が年月を経るにつれて政事的にも反映してゆき、裕福なツチ族はルアンダの内部でも重要な地位を占めるようになってゆく。
 また、これらの部族は身体的特徴面でもかなり異なっていた。ツチ族は長身で面長、目が大きく、鼻が高い。それに比べて、フツ族はずんぐりしていて、鼻が低く、角張った顔だちをしている。
 トウク族すなわちピグミーは、優秀な狩人であったが、森の小人と呼ばれるほど小柄で、成人男子でさえ、その平均身長は150センチもない。
 初めてこの地にやって来たヨーロッパ人から見れば、ツチ族は高貴で支配者民族、フツ族は非支配者民族、トウク族は道化のように映ったのも無理のないことであろう。
ツチ族の女性(上)、フツ族の少女(右)。一見、ちょっと見ただけではわからないことが多い。
 14世紀に誕生したツチ族を王とする王朝国家が、長らくこの土地を支配したが、これらの3つの部族は、素朴でありながら互いに敬意を払いつつ調和のある暮らしを続けていた。しかし、この調和に満ちた平和な社会にも終焉が訪れる時が来た。19世紀に入ると、ヨーロッパから、突如、帝国主義の残忍な波が押し寄せて来るからだ。またたくまにルアンダの地は列強の植民地とされ、ヨーロッパ人が支配者となって乗り込んで来る。
 こうして、ルアンダはヨーロッパ列強の支配下のもとに置かれるようになる。第一次世界大戦終結まではドイツが、以後はベルギーが支配するようになるのだ。恐ろしいジェノサイドの準備期間は、この期間、つまりルアンダの植民地時代にヨーロッパ列強によってつくりあげられたと言ってもいい。言わば大虐殺を容易にするための準備段階であった。
* 民族同士の対立をあおる列強 *
 ルアンダが植民地時代だった頃、支配者であったヨーロッパ列強は、植民地管理を容易にする方法として、彼ら民族間の差異をあおり、彼らが一致協力することのないように互いの内部対立を煽ることをひたすら努めたのであった。つまり、自分たちが直接統治するのではなく、ツチ族を通じて間接的に支配しようとしたのである。例えば、大規模な土木工事などの際には、ツチ族を現場監督とし、労働者であるフツ族を管理させるというふうにである。その際、ノルマの果たせぬフツ族の労働者は現場監督のツチ族から激しく鞭を打たれるのである。もっとも、この仕組みにしたところが、上からの命令なのであって、もしツチ族の現場監督がそれを拒んだのなら今度は自分が激しく鞭打たれることになっていた。この列強の巧妙にして狡猾な植民地政策の結果、憎悪の矛先はヨーロッパ人ではなく、同胞内部に向けられることとなった。
 さらにベルギーは部族間の調査を徹底的に行ない、IDカードなるものをつくり上げた。これは、ツチ族、フツ族、トウク族の区別を容易ならしめるためである。こうした政策が、これまで部族同士の慈愛に満ちた素朴な調和を壊し、激しい嫉妬の感情に拍車をかけ、憎悪の嵐に変化させていったのである。
 その後、ルアンダは1962年、ベルギーから独立するが、負の遺産だけは脈々と受け継がれることになる。つまり部族間に芽生えた差別意識、とりわけフツ族のツチ族に対する優越感への嫉妬と憎悪だけがエスカレートしていき、やがて身の毛もよだつ大虐殺につながってゆくのである。かくして壮絶な民族浄化(ジェノサイド)のシナリオは出来上がった。後は機が熟するのを待つだけでよかった。
* 深夜にがなりたてるラジオ *
 1994年の4月のある深夜、その夜が身の毛もよだつ恐ろしい出来事の始まりであった。人々の心の中で溜まっていたものはすでに爆発寸前にまで高められていた。後は何かがこの導火線に火をつけるかだけである。こうして人々の気づかぬうちに大虐殺の準備は整えられた。憎悪のテンションがまさに最高頂を迎えようとする時、大虐殺の火つけ役となる一つの事件が起こった。フツ族大統領が乗った専用機が何者かによって撃墜され、大統領が暗殺されたのである。原因も不明で犯人さえわからなかったが、フツ族の殺気がおぞましい狂気に豹変するのに時間はかからなかった。
 ラジオは連日、過激な内容をがなり立てていた。「犯人はツチ族の奴らだ。奴らは薄汚れた汚らしいゴキブリだ。さあ、ゴキブリを駆除しよう!潰せ!殺せ!ゴキブリどもを皆殺しにしろ!」
 ラジオの声に煽られるように、たちまち人々は血に飢えた殺人鬼に早変わりし、手に手に牛刀や山刀などを握りしめて、今まで隣人だった人間に襲いかかっていくのである。恐怖が現実になってゆく瞬間とはこういうものなのだろうか。あらかじめ夜の間に、襲うべきツチ族の住む家々には印がつけられていた。
 日常生活などもろいものだ。それはあたかもうたかたの夢のようだ。一度ジェノサイドの波が押し寄せて、それに飲まれてしまうと、何もかもが荒々しい暴力や狂気に支配され、これまで常識と思われていたことが一切通用しなくなる。それはいかなる希望も吸い込んでしまうブラックホールのようなもので、その環境下では激しい憎しみの嵐だけが渦巻いている。
 普段、温和な表情で学校でいろいろと教えてくれた先生は、教科書の代わりに山刀を持ち、よく切れるように砥石の上でひたすら磨いている。これまで従順で勤勉だった人間が血も凍る殺人鬼に早変わりし、少女や子供にさえ平気で人殺しが行えるようになるのだ。虐殺の凶器は、主に(山刀)マチェーテが使われた。この山刀はジャングル内を進む際に、木々の枝をバッサバッサと乱暴に切り落とす時に用いられる緩やかに曲がった大型のナタと言えば想像できるだろう。
 虐殺が始まると、あるツチ族の家族は市長に保護を求めた。市長は彼らに教会に隠れるように指示した。子供連れの女や老人が彼の親切心に感謝して教会に身を寄せた。ところが、深夜、ナタや手斧を持ったフツ族が皆殺しにしようとやって来た。教会はぐるりと包囲され、全員がメッタ斬りにされて殺された。なんと、山刀を振り回しながら先頭を切って走って来たのは昼間の市長であった。
 ある村では、多くの修道女と二人のスペイン人の司祭は、虐殺が始まると、30年間も住み慣れた土地を捨ててあわただしく車で去っていった。その際、別れ際に「お互いに愛しなさい」「汝の敵を赦しなさい」「幸運を祈ります」などと十字を切りながら、口々にとなえつつ、彼らはせわしなく去っていった。
 絶望と恐怖におびえ、今こそ心の救いを必要としていたのにもかかわらず、彼らは自分たちの運命のことだけをひたすら考え、長年ともに暮らした信者たちをあっけなく見捨てたのである。
 この地獄のような環境下で幸運などどこにあるというのだろう。これが神に仕える者の本性だと知った時は、もう後の祭りであった。
 残されたツチ族の人々は、殺人鬼と化した人々に周囲を取り囲まれて、ただ恐ろしい死を待つだけなのである。
絶望と恐怖に疲労困憊状態の子供たち
 村で何気なく立ち話を交わしていた隣人の手には、こん棒やナタといった凶器が握りしめられ、サッカー場や広場は広大な殺戮の場と化した。切断された遺体がそこかしこに散乱し、それらはガソリンをまかれて焼かれてゆく。赤ん坊を抱いて逃げていた母親は、近所の人々に捕らえられると足首を切り落とされた。赤ん坊はレンガの壁に投げ付けられて頭蓋骨を割られ、その血だまりの中に母親の顔が押し付けられて窒息死させられた。
 多くの者は野原に膝まずき、命ごいや祈りを捧げたがムダだった。屠殺者は無表情でまるで野草を切り払うかのように、頭と言わず腹と言わず、山刀でメッタ切りにして進んで行くのだ。
 後には、何十とも知れぬ血まみれになった犠牲者の屍が転がっていた。頭を割られた老人、腹を裂かれた女、手足を切り落とされた子供の遺体が延々と折り重なっている。もはや一滴の血も流れなくなるまで切り刻もうとするかのように虐殺は果てしなく続いた。
 その後、フツ族の娘たちが遺体にワーンと群がっていき、ネックレスや時計を略奪し、血で汚れていない衣服や靴があれば残さず剥ぎ取ってゆく。
 彼女たちは、そうして何千と横たわる遺体の群れの中をせわしなく走り回り、時おり上げる瀕死者の息も絶え絶えになった声を聞き分けると、近くの民兵に息をはずませながら知らせにゆく。「あっちに二人、こっちにも一人よ!」それはまるで、宝さがしのように面白いゲームのように見えた。
どこもかしこも死体だらけ。草原にはいたるところに犠牲者の遺体がうずたかく積み重ねられた。
 彼女たちの上げる嬌声を聞くなり、山刀を振りかざして民兵がその方角にすっ飛んで行く。無論、哀れな生存者に止めを刺すためにである。
* 生々しい殺戮の記憶 *

 この虐殺の中で、家族43人を瞬時に殺され、奇跡的に生き残った15才の少年の生々しい手記が残されている・・・。

 彼の家族は、サッカー場に近い番小屋で身を隠していた。彼の両親、兄弟、姉妹、親戚など43人だ。もう、3日間、飲まず食わずだ。外ではいたるところで、大虐殺が続いている。「お母さん、お母さん、お腹すいた!」何も知らない3つになる妹が泣き出す。

 突然、扉が乱暴に叩かれ、錠が飛んで打ち壊された。半開きになった扉のすきまから山刀を持った男たちのシルエットが浮かび上がった。幼い姉妹たちがキャーと叫び声をあげる。男はそばで横たわっていた叔父を発見すると、すばやい動作で首を切り落とした。笛のような音がして、血しぶきが噴水のごとくあたり一面に飛び散った。それを見た9才になったばかりの叔父の末っ子が泣き出す。男は山刀を男の子の頭に振りかざした。グシャ、キャベツをつぶすような音がして、子供の脳漿が飛び散った。続いて、泣き叫ぶ4才の弟にも山刀が振り下ろされた。男は頭をかち割られ血だらけになった弟の遺体を外に放り出す。ショートパンツが切れて、いたいげな小さなおしりが丸出しになった。
 次に男は地面に這いつくばっていた祖母をひと蹴りしてから切り殺した。祖母は祈りをするような恰好のまま息絶えた。暗闇で山刀が振り下ろされ、絶叫が響きわたり、また山刀が振り下ろされる。その度に腐った野菜を潰すような音が響きわたった。
 どこかで母親のつぶやく声が聞こえて来た。「おお、神さま、私は何のためにこの世に生まれて来たの?」今まさに死に直面しようとしている母親の悲痛な叫びだった。いつも塩の買えない人々に貴重な塩を分けてあげて、貧しい人々のことばかりを考え、優しく思いやりの精神に溢れ、慈愛に満ちていた信心深い母親。週に一度行われる祈祷会には必ず参加していた母親。その彼女が一緒に賛美歌を歌った人々から、口汚くののしられ腹を裂かれて殺されようとしているのだ。
 やがて、山刀を持った男が少年の方に向って来る。心は麻痺し、汗が噴出し、恐怖で身動きすることさえ出来ない。11才の弟が彼にしがみつき横でガタガタ震えているのがわかる。山刀が振りかざされた。バシュッという音とともに弟の生暖かい液体が降り掛かかる。再び、山刀が振りかざされる。いよいよ自分の番だ。少年は反射的に額に手をかざす。何かが暗闇で光った。イヤな音がして全身がしびれるような感覚が襲う。少年の横にバサッと何かが落ちた。それが血まみれになった自分の左手首だとわかると同時に少年は意識を失った。
 虐殺は、わずか1、2分という短い時間だったが、少年はアッという間に43人のかけがえのない身内を失った。母親の遺体の陰に隠れて生きながらえていた幼い妹も、それからまもなくして眠るように死んでしまった。片目を失い、鼻をそがれ、片腕を切断され、無数の深い傷を体中に負いながらも、だが少年は奇跡的にからくも生き長らえた。

 その後、スイスに亡命した彼は、ルワンダの悲劇を世界中に知らせるため、自らの体験と出来事を本にして出版する決意を固めた。

* 見捨てられた小国 *
 こうして、国連が介入して停戦に至るまでの間、つまり1994年の4月から7月までのおよそ100日間に、暴徒化したフツ族によって100万人以上ものツチ族が殺害されたのである。
 この虐殺では、ラジオがツチ族への敵愾心を煽る放送を流したことが、多くの一般人まで虐殺に荷担させることにつながったと言えよう。まさに火に油を注ぎ込む結果となったのだ
 憎悪の嵐が人々の心の中を支配し、集団的狂気と化す時、普通の人々さえもが恐ろしい殺人鬼に変わることが証明されたのである。
 それに拍車を駆けたのが人々の無知であった。
 それはさながら中世の魔女狩りのように。
 事実、1990年代の中央アフリカが中世ヨーロッパのようだと言う人も多い。
タンザニアまで逃れて来た避難民の群れ
 部族間や宗教上のさまざまな対立、疫病が蔓延し迷信深い人々が貧困にひたすらあえいでいる風土。こうした中から、かくして凄惨な生き地獄は地上に現出されたのであった。
 その時、世界の目はどこに向けられていたのだろうか? 世界の人々の関心は何だったのだろうか? この頃、ヨーロッパではノルマンディー上陸50周年を祝って、恒久の平和を祈願するセレモニーが各地で行われていた。遠く離れた日本でもそれは同じだった。マスコミは当時の細川内閣の解散と与野党をめぐるゴタゴタにのみ終始していた。
 世界はこの国の中で起きた恐ろしい出来事に関心を払うこともなく、目を向けることもしなかったのだ。誰一人、アフリカの中央部にあるこのちっぽけな国で、身の毛もよだつ壮絶な地獄が出現していることを知る者さえいなかった。人々は取るに足らない日常生活の中で、ああだこうだと不満をもらし、愛だの反戦だの平和だのと形だけの偽りに満ちた欺まんを口々に叫んでいたのである。
 世界中の誰もこの真実を把握すらしていなかった。世界の主要国は、史上最大の苛烈な大虐殺がルアンダでつづいている間中、ひたすら無視し高みの見物を決め込んだのであった。国連すら何もせず、ようやく動き出した時は、途方もない人々が殺された後であった。その数、実に100万人以上と推定され、公式の調査では130万人を下らぬとも言われている。
 大虐殺の事実が明らかになっても、世界の列強はさほど重要な事柄だとは思わなかった。当時のフランス大統領ミッテランは「ああした国ではジェノサイドは珍しくない現象だ」と述べた。そしてどの国でもその見方はほぼ同じだった。ルアンダで何百万の人々が死のうが、世界から見れば、大したことではなかったのである。
* 勇気と美徳の先にあるもの *
 確かに、異常な事態の中で、政治家から相手への憎しみをひたすら吹き込まれ、凶器を持たされれば、人は誰でも簡単に殺人者になってしまう可能性がある。それがジェノサイドというものだ。
 しかし、すべてのフツ族の人々が虐殺に加担したわけではなかった。
 ある女学校では、民兵の命令に従わず、彼女たちはフツ族とツチ族に分かれるのを頑として拒んだ。民兵はツチ族の少女のみを虐殺するつもりだったからだ。
大虐殺の痕跡を検証するRPF(ルアンダ愛国戦線)の兵士たち。RPFとは、ウガンダに本拠を置くツチ族が中心になって結成された武装組織。
 彼女らは自分たちは同じルアンダ人だと最後まで言い張り、その結果、全員が殴られて射殺されてしまったのであった。殺されたフツ族の少女たちは、生きることを選べたのに、あえてそれをしなかったのだ。
 自らの命を張ってまで示した彼女たちの勇気、恐怖に負けない正義、悪魔に立ち向かった健気さ・・・これこそが本来持っている人間の最大の美徳なのではなかろうか。彼女たちの死は決してムダにはならない。いつの日か憎悪と偏見の嵐を吹き払い、私たち人類の将来を輝ける未来にしてくれるからである。
 きっと・・・きっとそうなることを私は信じたい。
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参考文献
「ジェノサイドの丘」 フィリップ・ゴーレイビィッチ著、WAVE出版
「ルワンダ大虐殺」 レべェリアン・ルラングァ著、晋遊舎
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